大人になっても少女のように生きる

昔から小説が好きだった私。
でも社会に出るようになった今、本棚に並んでいるのはいつの間にかビジネス書ばかりに…。

「最近、心の琴線に触れるような言葉と出会ってないなあ、これでいいのだろうか…」
そんなことを思っていたとき、この記事に出会いました。

参照:6年間ビジネス書ばかりを読み続けて行き当たった壁

ビジネス書を否定することはしない。そこそこのところまで駆け上がる手段として有用なのは間違いない。
僕は6年間も読み続けてきたのだし、これからも読むに違いない。
ただ誰もがアクセスできて誰もが理解できるビジネス書は、そこそこのところまでしか連れて行ってくれない。
その先に行くためには人との対話であったり文学であったり、よく分からないことを考え続ける必要がある。
6年間遠のいてしまっていた文学に、僕は活路があるような気がしてならない。
エモーションとか感性とか、得体の知れないものが人に残されたバリューなのだから。

霧が晴れるとはまさにこのこと。
何となくモヤモヤしていたものを上手く言語化してくださって有難かったです。

とかくこの世は住みにくい

次々と刊行されるビジネス書、
刻々と更新されるニュース記事。

知識やトレンドを取り入れ続けることは重要である一方で
社会に出ている以上逃れることのできない、ある種呪縛のようなものだと思う。

事実私自身も、朝起きたらいくつかのニュースアプリを開くのが日課になっているし、
そういうビジネスマンは多いんじゃないかな。

それでも、
最後はやっぱり ”感性・感情・人間らしさ” に戻ってくる。
誰も教えてくれない、その人の本来的な部分が大事になってくる。

けれども残念ながらそれらは
ロジカルさが求められる社会生活において、得てして削がれやすい性質のものだと思う。

「論理的に、端的に。感情的にはなるな」。これがデフォルトとされる現代社会。
入社研修とかでも、ロジカルシンキング講座はあっても、エモーション講座は無い。

感情が表に出やすい私にとって
とかくこの世は住みにくい。

感情を失ったロボットにならないために

今持っている感性を枯らさないためにも
文学に触れたり映画を観たり、スポーツをしたり
まったりと空を仰いだりする時間はこれからも大事にしていこうと思った。

規制のかかった社会の中で
自分の人生を自分でコントロールしながらも
どこかで自然の流れに軽やかに身をゆだねるこの感覚をずっと忘れないでいようと思った。

嬉しいときは思いっきり笑って、
悲しいときはわんわん泣いて、
大人になっても少女のように、素直に生きたいなあ。

論理武装しなくても、情報武装しなくても
人対人の関係の中から、新しいものがどんどん生まれていく世の中になればいいなあ。

そんなことを思うちびっこでした。

img_0 (1)

ではまた!ヾ(o゚x゚o)ノ

Pocket